遺構・現存する石垣も多くが当時の遺構である

江戸時代の大坂城は、徳川幕府の天下普請によって再築された。

石垣石は瀬戸内海の島々や兵庫県の六甲山系の石切丁場から採石された。また遠くは福岡県行橋市沓尾からも採石された。

石垣石には、大名の所有権を明示するためや作業目的など多様な目的で刻印が打刻されている。

徳川氏は大坂城を再建するにあたり、豊臣大坂城の跡を破却して盛り土した上に、縄張を変更して築城したため、現在大坂城址で見ることができる遺構や二重の堀、石垣は、みな江戸時代の徳川大坂城のものである。

大坂の陣で埋め立てられた惣堀を含む豊臣大坂城の遺構は、大阪城公園や周辺のビルや道路の地下に埋没したままで、発掘も部分的にしか行なわれていない。

ただ、村川行弘らによる昭和中期の大坂城総合調査により徳川氏本丸の地下からは秀吉時代の石垣が見つかっており、現在は普段は一般には開放されていない蓋付きの穴の底に保存されている。

また、2003年には大手前三の丸水堀跡の発掘調査で、堀底からは障壁のある障子。
update:2010年02月27日